別冊ノベリスタ|ボスニアの欠片・旅のキセキ|ジェキチ美穂








第2回

再会



友人と久々の再会、とりわけ困難を乗り越えた後の邂逅の際には言葉に表せない感情が溢れ出すものだ。しかし、かつての友同士が銃を向け合うという凄惨な体験をした後の再会は、単に懐かしさがこみ上げるだけでなく、少々複雑な感情をもたらす事もある。

10数年前、内戦前に夫が通っていた大学に用があり、2人でサラエボを訪れた時の事。立ち寄った大学横の郵便局で列に並んでいたところ、折りしも並んでいた窓口の向こうから「あら、あなた○○(夫の名前)よね?」という女性の声が。

何と、その声の主は夫の大学時代の友達というではないか。夫が先に気付いてその窓口を選んだのかと思ったが、どうやら本当の偶然らしい。

私達が列の最後だった事も幸いし、お互いの近況について話し合う夫と友人だが、夫がふと思い出したように、「そういえば、弟さんはどうしてる?」と訊ねたところ、彼女は少し気まずそうに、こう告げた。

「弟は、内戦中に、戦死したの」

夫と彼女を隔てていた窓口のガラスが、ほんの一瞬、2人の心を隔てる壁となる。

夫が彼女の弟と剣を交え、その命を奪ったわけでない。
彼女も、誰を責める為に発したのではなく、ただ、弟が辿った運命を伝えたにすぎない。

ただ、内戦中はそれぞれ置かれた状況により選んだ(選ばざるを得なかった)サイドが異なっていた、その事実が再び浮き彫りになったことにより、久々の再会に瞬間的にふと暗い影を落としたが、また2人の間に笑顔が戻った。

民族・宗教を問わず、愛する誰かの命を奪った内戦。
当たり障りのない近況報告からお互い少し立ち入った話に踏み込むと、多かれ少なかれどの民族でもこういった場面に直面するのではないだろうか。

さて、初夏から夏に掛けての季節は当地で同窓会シーズンなのか、ローカル新聞では「○○学校○周年同窓会開催」の記事や告知が紙面を飾りはじめる。中には卒業後50年を超える集まりもあり、もうかなりお年を召した方々が学生時代のように仲良く集合写真に納まっている姿が微笑ましい。

一方、我が家の夫といえば、故郷を離れた友人達の帰省時に地元の友人達も交え少人数で飲む、いわゆる「プチ同窓会」は何度となく繰り返されていたが、クラス全体というレベルで初めての同窓会を企画したのは、何と卒業から21年目の事であった。

同窓会開催に踏み切った背景には、休暇の一時帰省とはいえ、地元に戻ってくる同級生が年々増え、再び集まる楽しみを一部の友人だけでなくクラス全員で共有したいと思う気持ちが膨らんできたのではないかと思うが、内戦で国内外に逃れる事を事を余儀なくされた同級生も多い中、SNS等インターネットの恩恵を受け、人伝えにはその足取りが掴めずにいた同級生の所在を見つける事が容易になった事もあるだろう。

地元在住の夫が当初幹事に任命されていたが、根っからのアナログ人間で事が進まぬ事に業を煮やした隣国在住の友人が連絡関係の担当を一気に担ってからは出欠の確認が一気に進んだ。恐らく彼女がいなかったらこの同窓会が幻の企画と化した可能性は高いだろう。(学科柄クラスは男性が大半を占めていたが、クラスを牽引していたのは少数派の女子だったに違いないと確信した私である)

出欠確認も会場の確保もなんとか目処が付き、後は指折り数えて、再会に胸ときめかせながら当日を待つだけ、という段階になったが、誰もが口にはださないものの同じ思いを抱えていた。

「誰かが、過去の辛い話を切り出す事はないだろうか?」


特に夫の世代はその多数が望む望まずに関わらず銃を持ち、戦場行きを余儀なくされただけに、複雑な状況が絡み合っている。

実際に、ある同級生達が話の流れでお互いが属した軍の足跡を辿るドライブに出たが、内戦時の記憶を辿りながらの道中、それぞれの連隊が一日違いで野営した事が発覚した事があった。

もし、その一日がずれていたら、竹馬の友はお互いの存在を知らぬまま銃を撃ち合ってた・・映画のような残酷な運命が、日常に溢れた時代を生き抜いた世代。

参加者は皆、懐かしさに引き寄せられて集まって来ることは間違いないが、何かの拍子に誰かが内戦の話を切り出し、それぞれの間に重い空気が流れる事がないか、きっと参加を決めた誰しもの胸に不安がよぎった事と思う。

こうして迎えた同窓会当日、夫は久々の邂逅に興奮気味に、そしてやや不安が垣間見える表情で会場に向かった。

しかし、予定時間を遥かに越えた明け方近く、夫とその友人は「ああ、きっと楽しい飲み会だったのだな」と一目で分かる顔で帰って来た。

しかも、同窓会は一夜の宴で終わらず、有志のみではあるが(といってもかなりの人数だが)寝ぼけ眼のまま早朝からカフェに集合したのを皮切りに、結局、初めての同窓会の余韻は翌々日まで続いたのであった。

さすがにここまでくると客観的には「ちょっとやり過ぎ」と思わず苦笑がもれるが、内戦の語りつくせぬ悲しみを切り出す前に、学生時代の楽しい思い出、そして現在の、これからの人生の話も、語り尽くせぬ程あるのだと、初めての試みは、その事を証明する機会となった。

また、その場で既に次回の同窓会企画が持ち上がったのは言うまでもない。

ありきたりな表現になってしまうが、時が答えを導いてくれる事もあるだろう。
「当時は、誰もが、それぞれつくべき場所についたのだ」と。

そして、悪夢のような時間が過ぎさりし今、人々は再び故郷に残した想いに引き寄せられ、帰郷を果たす。

その地を踏む事に少しの痛みと悲しみが伴っても、、心は、いつも、そこにある事を確かめる為に。