三鷹
昭和14(1939)年9月に太宰は東京多摩、三鷹に移り住む。以来、昭和23年6月、玉川上水に入水自殺するまで、この地を拠点に数多くの作品を生み出している。
入水した場所付近
■昭和14年
畜犬談(10月)
富嶽百景 (2月)
女生徒 (4月)
■昭和15年
俗天使(1月)
女の決闘(1月)
駈込み訴え(2月)
酒ぎらい(3月)
皮膚と心(4月)
善蔵を思う(4月)
走れメロス(5月)
乞食学生(7月)
失敗園(15年9月)
きりぎりす(11月)
■昭和16年
清貧譚(1月)
東京八景(1月)
新ハムレット(7月)
千代女(6月)
風の便り(11月)
誰(12月)
■昭和17年
新郎(1月)
或る忠告(1月)
十二月八日(2月)
正義と微笑(6月)
小さいアルバム(7月)
■昭和18年
故郷(1月)
黄村先生言行録(1月)
帰去来(6月)
右大臣実朝(9月)
作家の手帖(10月)
■昭和19年
佳日(1月)
散華(3月)
水仙(8月)
花吹雪(8月)
津軽(11月)
■昭和20年
新釈諸国噺(1月)
惜別(9月)
お伽草紙(10月)
パンドラの匣(10月)
■昭和21年
海(7月)
薄明(11月)
たずねびと(11月)
■昭和22年
メリイクリスマス(1月)
女神(5月)
朝(7月)
ヴィヨンの妻(3月)
父(4月)
おさん(10月)
斜陽(12月)
■昭和23年
犯人(1月)
酒の追憶(1月)
饗応夫人(1月)
如是我聞(3月)
眉山(3月)
桜桃(5月)
人間失格(6月)
グッド・バイ(6月)
家庭の幸福(8月)
庭
太宰の作品には多くの花が描かれている。家の玄関前にある百日紅。庭に好んで植えた薔薇。井の頭公園に続く玉川上水沿の桜や梅の木。
太宰のガーデニングを楽しむ姿は、さながら現代のマイホームパパだ。
玉川上水に沿って桜の木が続く。
「私の庭にも薔薇が在るのだ。八本である。花は咲いていない。心細げの小さい葉だけが、ちりちり冷風に震えている。この薔薇は、私が、瞞されて買ったのである。
・・・・・・中略・・・・・・・
この薔薇の生きて在る限り、私は心の王者だと、一瞬思った。」
(『善蔵を思う』)
・・・・庭にトマトの苗を植えた事など、ながながと小説に書いて、ちかごろは、それもすっかり、いやになって、なんとかしなければならぬと、ただやきもきして新聞ばかり読んでいます。
・・・・中略・・・・・・
きょうはこれから庭の畑の手入れをしようと思っています。トーモロコシが昨夜の豪雨で、みんな倒れてしまいました。(『風の便り』)
私の家の狭い庭に於いても、今はかぼちゃの花盛りである。薔薇の花よりも見ごたえがあるようにも思われる。とうもろこしの葉が、風にさやさやと騒ぐのも、なかなか優雅なものである。生垣には隠元豆の蔓がからみついている。けれども、どうしてだか、私には金が残らぬ。(『金銭の話』)
「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければいけないの?」
・・・・・中略・・・・・
「とうとう薔薇が咲きました。お母さま、ご存知だった?・・・」
(『斜陽』)
家
同時に、太宰は私生活を執拗に暴露していく。
私は、夕陽の見える三畳間にあぐらをかいて、侘しい食事をしながら妻に言った。「僕は、こんな男だから出世も出来ないし、お金持にもならない。けれども、この家一つは何とかして守って行くつもりだ」(『東京八景』)
東京市外の三鷹町に、六畳、四畳半、三畳の家を借り、神妙に小説を書いて、二年後には女の子が生まれた。(『帰去来』)
「井戸は、玄関のわきでしたね。一緒に洗いましょう。」と私を誘う。私はいまいましい気持で、彼のうしろについて外へ出て井戸端に行き、かわるがわる無言でポンプを押して手を洗い合った。(『女神』)
たましいの、抜けたひとのように、足音も無く玄関から出て行きます。私はお勝手で夕食の後仕末をしながら、すっとその気配を背中に感じ、お皿を取落とすほど淋しく、・・・・中略・・・・
うちで寝る時は、夫は、八時頃にもう、六畳間にご自分の蒲団とマサ子の蒲団を敷いて蚊帳を吊り、・・・・・中略・・・・・
私は隣の四畳半に長男と次女を寝かせ、それから十一時頃まで針仕事をして、それから蚊帳を吊って長男と次女の間に「川」の字ではなく「小」の字になってやすみます。 ・・・・・中略・・・・・・
玄関前の百日紅は、ことしは花が咲きませんでした。(『おさん』)
百日紅に光が差し込む。
光と闇
わが陋屋には、六坪ほどの庭があるのだ。(『失敗園』)
「門柱ぎわの百日紅が枝さきにクレープペーパーで造ったような花をつけていた。南側は庭につづいて遥か向こうの大家さんの家を囲む木立まで畑で、赤い唐辛子や、夙にゆれる芋の葉が印象的だった。西側も畠で夕陽は地平線すれすれに落ちるまで、三畳の茶の間とお勝手に容赦なく射し込んだ。」(『回想の太宰治』津島美知子)
家は陽だまりとなり、庭に花が咲き誇る。太宰は、一見正しい家庭人として安穏生活を送りながら、他方、火に爛れたような内面を抱え、「六坪ほどの庭」に出入りしながら、現実逃避行を繰り返している。
陽だまりに刺す一筋の闇。
本シリーズでは、「陋屋」から破滅へと向かう、肥大化する闇を追う。