溜まりと地下水脈
世界の終りを連想させる日立中央研究所は東京西部、国分寺に位置する。そこは、「チーズ・ケーキのような形をした僕の貧乏」(『カンガルー日和』)で、「僕」と「彼女」が過ごした「三角地帯」の目と鼻の先だ。
1971年、陽子夫人と学生結婚をした22歳の村上春樹は、同年10月、三鷹のアパートから千石の夫人の実家に転居し、その3年後、国分寺に移り、ジャズ喫茶「ビーター・キャット」を開く。
それから10年の時を経て、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が世に出るのは、1985年、36歳のときだ。
研究所の庭園は春と秋、それぞれ一日だけ公開される。白鳥が泳ぐ溜まりには構内の湧き水が流れ込み、溢れ出た水は四方を囲む高い壁の底を潜り抜け、野川の源流となる。
この湧き水は、武蔵野台地に降り注いだ雨水が関東ローム層を浸透し、その下の武蔵野礫層に貯められ、地下水となって国分寺崖線に沿って噴出している。
野川は、国分寺崖線のハケに沿って多摩丘陵を東へと向かい、多摩川を経由してやがて太平洋へと注ぐ。崖線は多摩川が武蔵野台地を侵食してできた河岸段丘であり、世田谷等々力渓谷まで続いている。
喧騒から孤立し、樹木が静謐の水面に起立する。
性質にこの世界の終りから逃れ、外の世界に至るには、南の溜まりに飛び込むしか術がないのだ。
「秋の花が野原を彩り、木々の葉は鮮やかに紅葉し、その中央に波紋ひとつない鏡のような水面のたまりがあった。たまりの向うには白い石灰岩の崖がそそり立ち、そこに覆いかぶさるように煉瓦の壁が黒くそびえていた。たまりの息づかいをのぞけば、あたりはひっそりとして、木の葉さえみじろぎひとつしなかった。」
世界の終わり×ハードボイルド・ワンダーランド
西川智之氏が指摘するように、「世界の終わり」は、「街のまわりは7メートルか8メートルの高さの長大な壁に囲まれ」た「完全な街」にあって、14、15世紀のヨーロッパ絵画やタペストリーで描かれた「閉じられた庭」を想起させる。
たとえば、「パラダイスの小園」では、壁が周囲をめぐるが、その外は分からない。見えるのは青い空と、大きな樹木だ。そこに生い茂る植物群。そのなかでマリアが聖書を開き、イエスが楽器を弾いている。聖女らが木の実を摘み、泉の水を汲んでいる。
「ここでは誰も傷つけあわないし、争わない。生活は質素だがそれなりに充ち足りているし、みんな平等だ。悪口を言うものもいないし、何かを奪い合うこともない。労働はするが、みんな自分の労働を楽しんでいる。・・・他人をうらやむこともない。嘆くのもいないし、悩むものもいない。」
他方、地下水脈が張り巡らされ、要塞のような断崖に囲まれて迂回する小道、急な坂道と街を分断して疾駆する旧街道。国分寺街は、地政学的に、古来、世界の終りを想起させ、ハードボイルドが似合う「罪深き街」でもある。とくに、村上が生きた1970年代の国分寺は、日が暮れはじめるころから終末感が漂っていた。
いずれにしても、死者の世界「世界の終り」に対峙する「ハードボイルド・ワンダーランド」地下世界はどこかでつながっている。
鳥を除けば、外の世界から「世界の終り」に入ってくるのは、川の水だけであり、「東の尾根を勢いよく下ってきた川は東門のわきから壁の下をくぐって」街に姿を現し、「南の壁の少し手前でたまりを作り、そこから石灰岩でできた水底の洞窟にのみこまれていく」。そして、「壁の外に広がる見わたす限りの石灰岩の荒野の下には、そんな無数の地下水脈が網の目のようにはりめぐらされている」。
この洞窟こそが、やみくろの洞窟であり、街を侵食させ、地底に作られた「ハードボイルド・ワンダーランド」だ。その地下水脈は「世界の終り」と合流し、再び無数のやみくろの聖域に噴出する。
参考文献;『村上春樹の「閉じられた庭」』西川智之